令和3年度 盟友の主張

『繋ぐ力』

横島支部代表 石井 裕弥

私の住んでいる横島町はもともとイチゴマラソン大会が開催されるなど、イチゴが有名、特産の町でした。現在はというと農業者の高齢化やミニトマト、ナスなどへの移行でイチゴの生産者は毎年減少を辿っています。  

そんな私も家がイチゴ農家でした。私は小さい頃から休みの日など仕事の手伝いをさせられる事がよくありました。育苗の為のポットの泥入れ、パック詰めのフィルム張り、そして段ボールの箱作りは、親がイチゴ農家である人は、誰もが通ってきた道だと思います。学校終わりや休日に手伝いを頼まれる事が、「嫌だなぁ、こっちは遊びたいのになぁ」という気持ちもあり、自然と農業というものを敬遠するようになっていました。そんな自分だったので、高校卒業後の進路には、当然農家という選択肢は無く、その頃興味のあった調理師の免許を取るために専門学校へと進学しました。

その後、色々な仕事を経験したのち、23歳の頃に親元で就農しました。当時は特になりたかった訳でもなかったのですが、先に農業を継いでいる友人と遊んだり仕事の話しなど何気ない会話の中で、友人が農家として生き生きと仕事をしているように感じたので、特に深く考えもせず、軽い気持ちで実家の仕事を手伝い始めました。

皆さんはイチゴ農家というと、どういうイメージをお持ちでしょうか。朝が早い、夜遅くまで選果、パック詰めなど大変な仕事だとイメージされると思います。まさしくその通りです。私の家は当時、家族3人で40アールのイチゴの栽培管理を行っていたのですが、当然シーズン中は休みなど無く、最盛期になるとまだ暗い時間から収穫を始め、パック詰めは夜までという毎日でした。

元々要領が良いとは言えない私は、物覚えも悪く、農機具の扱いも苦手、収穫も両親の半分も出来ていたでしょうか。しかし、若く考えの甘い私は、その事を全く重く受け止めず、成長する事が出来ないでいました。今になって思えば、なんて勿体ない時間を過ごしたのだろうと思う事もあります。

そしてある年の収穫最盛期である4月に、想定していなかった事が起きました。父が仕事中に怪我をし、入院してしまいます。その時、父の身体の心配はもちろんですが、この先の収穫、管理の事がすぐに頭に浮かんできました。単純に今まで3人だったのが2人になるだけで無理がありましたし、作物は待ってくれません。その日の収穫も終わらず、それに加えて父が行っていた管理作業も合間に行わなくてはなりません。私は仕事をある程度覚えたつもりでいましたが、気がつけば病院の父に「あれはどこにある?消毒は何をすればいい?」と毎日のように電話をかけてしまい、この時、自分の未熟さを痛感しました。また、単純に一人欠けるだけで、人手不足に陥るという点も改善していかなければならないと強く感じました。

父が仕事を出来なくなった時、初めは面積の3分の1の収穫をやめる方がいいんじゃないかと考え悩みましたが、やれるところまではと気持ちを切り替え、父の退院までの1ヶ月間、母と乗り切る事が出来ました。その経験は自分の自信にも繋がったと思います。しかし同時に、父のその存在の大きさに気付かされ、いつまで元気でいるのだろうかと危機感も感じ、仕事への取り組み方も変わっていったと思います。

私の父は元々会社員でした。私が15歳の頃会社を辞めて、祖父がやっていたイチゴを始め、それから自分で勉強を重ね、今では父より農家歴の長い周りの農家の方が、分からない事を父に尋ねに来たり、人手の必要な時に「父の頼みだから」と喜んで手伝いに来てくれる人がいたりと、父は自分の身近な目標となっています。

そうやって同じように仕事をしていく中で、常に目標+αを意識し、あれはこうしたい、あれは今までとは違うやり方でやりたいなど、自分で考えて仕事をするようになり、今を超えていきたいという気持ちが強くなっていきました。そういうふうに思うのは簡単ですが、自分なりに必死に考えてやってみても、当然成功することもあれば失敗することもあります。果たして自分に出来るのかと不安を抱くこともあり、自分のネガティブな性格が嫌になっていました。 毎日のように希望と不安が交互に頭をよぎる日々で、自分にとっての大きな転機が訪れました。

自分に家族が出来たことです。結婚、そして3人の子供を授かりました。人が変わるには環境が変わる事が最も早い手段です。家族の生活の為にと、前々から考えていた作付面積の拡大に着手し、20アールの使われていないビニールハウスを借りる事にしました。頭の中だけで考え、中々踏み出せないでいましたが、最初の一歩が出てしまえば、あとは転がり始めます。古いハウスだった為、パイプなど古いものは交換し、修理が必要なところは出来るだけ修理、劣化がひどいものは買い替え、シーズンを通して使えるように準備していきました。この頃は、仕事に追われ、家族の時間が取れない毎日が続いていました。

私は農業を始めた時から農家の働き方に悩んでおり、もっとしっかり決まった休みが必要だと考えていました。しかし家族経営ではそれが難しい事もわかっており、作付面積を増やした理由も1つはそこにあります。パートさんを雇用し、外国人技能実習生を受け入れることで作業効率が上がり、今まで2日かかっていた事が、1日で終わるようになりました。面積は増えましたが、決まった休みが取れるようになった事で、子供が休みの日に自分も休むことが出来、家族で出かけたり、同じ時間を過ごす事が出来るようになりました。それが今は仕事への意欲にも繋がっていて、良いサイクルが出来ていると感じています。栽培管理の点でも時間が出来る事で、管理の質を上げ、品質や収量の向上にも繋がっていくのではないかと感じています。私はまだまだ目標には程遠い場所にいます。私が前に進む原動力は『家族』です。目標としている父や母、妻や子供達との繋がりを大切にし、それを力に変え、目標の自分に近づけるように毎日の仕事に励んでいきたいと思います。

またこの自分の励みが、玉名という地域の活性化に繋がっていけば、なお嬉しく思います。