令和3年度 盟友の主張

『父の農業と私の農業』

岱明支部代表 庄内 信二

「農業は、するなよ。」

生前父が私に就農を決める前まで言っていたことです。その言葉の影響もあり自分自身就農するつもりはありませんでした。しかし就農を決め現在に至るまでのことをお話させていただきたいと思います。

私は玉名市で施設園芸の冬春トマトと水稲を栽培しています。私が幼少の頃は父、母、祖父母でトマト、メロン、水稲を栽培していました。当時は水稲以外小規模だったこともあり個選で市場に出荷していました。トマトやメロンの収穫時期は、小屋で出荷用の箱作りなどの手伝いをしていました。けれど玉名地区のJAが合併し現在のトマトの選果場ができ、そちらにコンテナ出荷するようになると手伝えることも減り徐々に家業に対する興味を失い、中学生以降は農繁期の田植え、トマトの定植、稲刈りなど父に手伝いを頼まれた時のみ関わっていました。 進学も工業系の高校へ進み、卒業後は公務員になるため地元を離れ専門学校に進み勉学に励みました。その甲斐もあり刑務官採用試験に合格し就職も決まりました。しかし現実は厳しく特殊な職場環境、不規則な勤務形態についていけず仕事を辞め地元へ戻り一般企業に転職しました。数年後リーマンショックの影響で不景気になると仕事も減り休みが多くなりました。その間やることがなかったのでちょくちょくハウスで手伝いをしていました。  

その作業をしていくうちに、昔手伝っていた時とは違う気持ちが生まれてきました。

「今まで経験してきた仕事より、面白いぞ!」

そのことをずっと「農業は、するなよ。」と言ってきた父に話すと、「お前がそう思うなら、好きにやればいい。」と意外な答えが返ってきたので少し安心しました。それからすぐ会社を辞め農業を始めました。  

それから父、母、私と主に三人体制で働くようになり、仕事も今まで以上に順調に回るようなってきました。

就農して3年目私にある転機が訪れます。トマト栽培を規模拡大することと同時に一家の大黒柱だった父が癌に侵され倒れてしまいます。父は私に「アドバイスすっけん、お前の好きなようにやってみろ。」と言い病院へ向かいました。幸いにも夏場のオフシーズン期間だったため次期作の影響はほとんどなく、父もトマト収穫期前に現場復帰しました。しかし、父も今までの様には働けず規模拡大で仕事量も増え作物の管理が行き届かなくなってきました。さらに翌年癌の再発で再度病院へ向かった父ですが、治療の甲斐なくこの世を旅立ちました。

トマトの収穫と手入れ、父を見送る準備であたふたしていた時、助けてくれたのが岱明支部の盟友の方々でした。当時青壮年部に加入していませんでしたが話を聞きつけ収穫に駆けつけてくれました。そのおかげで無事に父を見送る事ができ、その年青壮年部に加入しました。

父亡き後、そのまま経営を継承しましたが何しても全てうまくいきませんでした。それに「農業は、するなよ。」と言っていた父の言葉の真意がわかったような気がしました。しかし、このまま父のマネだけじゃ駄目だと思い、青壮年部、部会、その他会の研修になるべく参加するようにし、そこで得た知識や情報を活用し私自身のトマト栽培主体の家族経営農業をしていこうと決め、早8年我が家の農業も大きく変わりました。

1つ目は仕事の選別です。父が抜けた後仕事量が増え作業効率が悪くなっていたのが欠点でした。そこで、トマトの植付け本数を減らし作業効率を上げて反収アップを目指しました。また水稲の作付面積を今までの半分程に減らし、トマトの定植時期と被る稲刈りをJAに委託することにしました。  

2つ目は仕事の分散化です。規模拡大時に建てた低コスト耐候性ハウスと既存の丸鋼管ハウスは9月上中旬までに定植し、残りのパイプハウスは台風シーズンが過ぎた10月下旬の定植としました。早い定植組は稲刈りを委託したおかげで管理収穫が楽になり減らした水稲分の収入より大きくプラスになりました。また、父主導の時は時期によって収量にばらつきがありましたが定植分散のおかげである程度収穫、仕事量のばらつきがなくなり、全体の管理がしやすくなりました。  

3つ目が作業の機械化です。少人数で作業効率を上げるには重要な手段だと思い、新たに自走式肥料散布機とトラクターアタッチメントのマルチ巻取り機を導入しました。自走式肥料散布機は今まで堆肥や元肥散布に10a辺り半日ほどかかっていたのが1時間ほどで完了するようになりました。マルチ巻取り機も重労働だった太陽熱還元消毒に使用したビニールの片付けや外張りビニールの回収に毎年すごく役に立っています。また数年前の農文協現代農業の記事に自走式防除機を用いて内張りカーテンを設置するというのを見て、私も実践しています。

現在トマト43a、水稲62aの経営です。今後の目標としてパイプハウスを建て替えてさらなる規模拡大を考えていましたが、結婚して子供も出来た状況に変わり家庭と仕事の両立をするため建て替えは一旦棚上げし保守整備して長く使用する方針に切り変えました。

近年トマト価格の大暴落で玉名地区のトマト農家は作物転換や高齢での引退などで生産戸数が年々と減少しています。

また新型コロナウイルスの影響で色々な事に制限があり青壮年部、各専門部会等の活動が難しい状況ではありますが、これからも盟友たちと共に学び、共に感じ、ここ玉名でトマトを作っていきたいと思います。  

今は「農業は、するなよ。」と言っていた父も安心して見守ってくれていると思います。